『司馬遼太郎エッセンス』       谷沢永一 著    文春文庫

                      

  

 先日、職場の人たちと飲んだ。酔いもまわったところで、誰からともなく新人くんの批判が始まり、気が付けば彼の悪口大会となっていた。確かに、気の利かない感じの子ではあるけれど、私自身は悪い印象を持ったことはなく、「そこまで言わなくても」と酔いも醒めてしまった。

 司馬遼太郎全集の解説である本書によれば、司馬遼太郎は、「上のものが新入りの下の者を陰湿にいじめる」のは江戸時代からの「抜きがたい文化」だと指摘している。ちなみに、中国には「〈意地悪・いじめる・いびる〉といった漢字・漢語も存在しないようである」。

 以前、ジェンダーを勉強し始めたら、背景が理解できたため、男性の女性蔑視的な発言が気にならなくなった、と言った人がいたが、私も同じように納得した。

 なるほど、江戸時代からの「抜きがたい文化」なのね。しかも、その「文化」は、もともとは徳川家のものでたまたま徳川家が三百年間トップに立ったことで、日本人の性格として定着してしまったわけで、もし豊臣家や織田家が天下を取っていたら、また別の日本人のキャラクターができあがっていたという。

 さすが「司馬遼太郎エッセンス」のタイトルどおり、ストーリーに気を取られて、読み過ごしてしまう司馬遼太郎作品のテーマや鋭い指摘を取り出して紹介している。

 例えば、中国への視点は、この国の農業条件から。

 中国の農業条件はさまざまで、「もし旱魃がおこれば雑草も生えないという状態が相当な広地域でおこる」。そのため、人民を食わせる、ということが為政者に切実に求められる。

 「五万人の流民を食わせる能力の者は五万人だけの勢力を張るが、しかし流民が風を望んで殺到しついに十万人までになると、その英雄の能力が破綻する。英雄は夜逃げするか、あるいは百万人を養いうる大英雄のもとに流民ごと行ってその傘下に入れてもらわなければならない」。

 その最終段階が、たとえば項羽と劉邦の決戦だという。

 そして、「すみずみまで人民を食わせてゆくこと」という政治の大原則は、現在まで脈々と引き継がれている。

 水が豊かな日本では、ちょっと想像の付かない根底であるがゆえに、日本には中国が理解できない。「中国はわれわれの理解を絶したほどの異国」であり、同じ価値観やものさしでは、けっして測りえない存在なんである。(真中智子)



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